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文化

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カルプムソルリ

太白の深い山奥に昔から火田民が多く移住した。次第に移住性の火田農耕から定着性の集団農耕社会に変ったのであるが、当時、肥料がなかったため堆肥だけが唯一やせた土地の地力増強の手段であった。
太白カルプムソルリは、陰暦の7月頃の刈入れ前に来年の農事のために村の人々が力を合わせて家々を回って堆肥を準備するもので、生い茂った2~3年生の草木を刈って押し切りで切り大きな草の積み重ねを作るのである。
この過程で、特に草を切る時、プルアッシ(農繁期に協力するための集い)のソンソリ(5,6人が立って円陣を作り、1人が歌い手となっり他の者ははやしを入れる俗謡の一種)の歌詞は、おどけと皮肉で働く人々を楽しませ、笑い声と共に全体の和合を図り、一体感の造成と作業能率の向上を図る伝統的な地方特有民俗である。技能を保有している人々は減ったが、まだ多くの人々がこの技能を保有している。
内容
カルプルソルリは大体陰暦の7月から刈入れの前まで行うが、まず1年間で草木が茂り狭くなった道と、隣村までの四方の道の草木を刈る。そして村の城隍堂に集まり、村の平和と村人らの無病長寿などを願う祭祀(告祀)を捧げた後、いつから始め誰の家から回るのか日取りを決定する。 普通20~30名がプルアッシ(農繁期に協力するための集い)形式で1日に1件ずつ回る。草肥は大体2~3年生の草木で行い、1度草を刈った山は2~3年はそのままにしておく。節気が早く木が硬ければ1日に1人が7荷くらい草を刈り、普通の時は1日に8荷の草を刈るが、午前に4荷、午後に4荷を刈る。カルプルソルリは2組に分かれ、1組は草を刈ってき、もう1組は草を切る。例えば20名が草を刈るとすれば、最初に20名が草を1荷ずつ負ってきて8名が押し切りで草を切り、残りの12名は午後まで 7荷の草を刈る。
すると約100荷(8~10 トン)の堆肥が確保できる。またもう1つの方法は、20名が午前に4荷の草を 負い、午後には16名が2つの押し切りで草を切り、残りの4名が午後まで4荷の草を負う方法もある。どの方法であれ約100荷の草が確保でき、30名ならば約150荷の草を刈る。これは午前に 30名が2荷の草を負い16名が押し切り2つで草を切り、残りの14名が午後まで6荷の草を負う。 ここで重要な事は、草を切る時にプルアッシ(農繁期に協力するための集い)がソンソリ(5,6人が立って円陣を作り、1人が歌い手となり他の者ははやしを入れる俗謡の一種)をする事で、その内容は木や草の名前をおどけを入れて描写するのである。ソンソリはカルプルソルリで最も核心となるだけではなく、文学的価値が高い機能謠的労働謡である。そして、このソンソリは押し切り人とプルモシ、プルアッシが三位一体となりカルプルソルリを円満に処理し、たいへんな労働をおどけと皮肉で克服する賢さがあり、また押し切り人の体力の調整にも重要な役割をする。
プルアッシがソンソリで「ウロリダ、ウロリ。(韓国語)」「日向の方に黄色い…シンコリダ(韓国語)」というと押し切り人は頑丈な木が入るのがわかり力一杯押し切りを踏んで切り、「井戸の婆さん…ソックペンイダ(韓国語)」「ムジンタリ(韓国語)…入っていく」というと、やわらかい草が入ってくるのがわかりムダな力を浪費せずに押し切りを弱く踏み力の加減をするのである。この様に、草を切りながらプルアッシのソンソリに答え押し切り人やティプルクンが笑い声をあげて和音を成し愉快な雰囲気を作る。
草肥をする日の食べ物は草飯(プルパッ)といい、通常よりふんだんで村人が集まり共に飲み食いする。大変なカルプルソルリが終わると庭に切った草を敷いて力の強い者たちが、まだ力が残っている事を見せつける様にお互いに力自慢の相撲をする。この時、全村人がドラや鉦、長鼓、太鼓などを持ってきて愉快に応援し、勝った者を背負子で作ったかごに乗せ、1日の苦労を癒す。